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どこかで誰かがやっている

日常生活で、あんまり意識してないけど「どこかで誰かがやってくれてる」って事はホントに多い。実家にいる頃は(もう30年も前になっちゃうのか…)その「誰か」は母親だったのかな。なんでそんなこと思ったかというと、最近の俺が、なんとなく母親っぽくなってるから。炊事、洗濯、掃除あたりの家事は今までは適当だったんけど、突き詰めていくと色々と楽しくて休みになるといそいそと洗濯機を回して、掃除しまくったりしてる。段取りを考えるのが楽しい。洗濯機回している間に、米炊いて、子供シャワー入れて…妻は寝てる間に子供の夜泣き含めて対応してくれてるので、俺が休みの日に関しては思う存分寝てもらうように。とはいえ、子供がちょっかいだして起きちゃったりするけれどね。

シールだらけの手

仕事でもどこかで誰かが、って場面が結構ある。こっちに来るまでは、自分で店やってたのもあって基本的には「誰か」はいなかったけど、今の職場はスタッフもそれなりにいるので「誰か」も多くいる。俺も、誰かの「誰か」にちゃんとなれていると良いなぁ。

って、そんな事言えば、列車がちゃんと走ってるのも、電気が部屋まで来ているのも「誰か」が存在しているからなんだけれどね。生活半径5メートル程度しか小さな脳みそでは及ばないけれど、日々そういうのには感謝してないとなぁ、とか柄にもなく思った。

実はバンコクで暮らし始めた当初は、色々と不便に感じることも多かったのよね。旅行できているのとは、やっぱり勝手が違うし。でも、大半はその「誰か」がいないだけの話。それなら自分でやっちゃえばいいだけ、と頭を切り替えてからは、特に不満は無くなった。間もなく、バンコクに来て4年が経とうとしている。なんだかんだで「とりあえずマイペンライ」なタイ人化が進んでいるだけかもしれないけど。